2014年5月23日金曜日

ロブ・デイヴィス氏による基調講演+訳サマリー





基調講演:多様な社会へ向けてのポジティブな変化
—メトロソース創刊から25年を振り返る—

ロブ・デイヴィス/メトロソース出版発行人、創業社長

私はホモセクシャルです。でも私が子供の頃は「ホモセクシャル」という言葉を耳にすることはほとんどありませんでした。それは、どちらかというと医療関係の言葉として、診療所などで使われていたのです。やがてその言葉は「ゲイ」という表現に置き換わってゆきました。私もゲイ・コミュニティの一員として誇りを持っています。思春期の頃、自分がそうであると自覚し、大人になってしばらくして、自分がゲイであることを公にしました。19歳の頃でした。

当時、ゲイ・コミュニティの定義は今のようではなく、こういうことを言う人がいました。「私は女性です。そして女性が好きなレズビアンです。私はゲイの一員ではありません」と…。レズビアンも同性愛者なので、コミュニティの一員として認識する必要があります。そこで、「ゲイ・レズビアン・コミュニティ」という表現が生まれました。その2、3年後、「表現の順番はレディ・ファーストでなくては…」という声があがり、レズビアン・ゲイ・コミュニティという呼び方にしようということになりました。

2、3年が経ち、「私はバイセクシャルです。女性・男性両方ともが恋愛対象です」という人たちが出てきました。そこで我々のコミュニティは、レズビアン、ゲイ、そして、バイセクシャルを含めるようになったのです。それから2、3年経って、今度は性転換手術を受けた人たちが現れ、「ちょっと待って! 私はゲイでもないし、レズビアンでもない、バイセクシャルでもない」と声を上げたのです。それで私たちは「LGBTコミュニティ」になりました。それでも、まだ「私はこのコミュニティの一員として認識されていない」という人が現れました。QQuestion、つまり、自分のセクシュアリティが何なのかよくわからないという人たちです。そこで、「LGBTQコミュニティ」ができ上がりました。その後も、どちらとも定義しがたいインターセックス、パンセクシャル、男女両方に無関心なアセクシュアル、アライズ=支援者といったカテゴリー、概念が次々と出てきました。なので、今はこれらすべてを含めたLGBTQIAAPコミュニティの一員であることを誇りに思っています。私が子供のころはもっと単純だったのですが…

私の名前はロブ・デイヴィス。『メトロソース』マガジンの創始者です。『メトロソース』はこれまで25年間ゲイ・コミュニティ向けに情報を発信してきました。年に6回発行しており、ニューヨーク版、ロサンゼルス版、全米版を展開しています。ゲイ・コミュニティ向けの情報、アート、ファッションなど、コミュニティが関心を持っていることを扱っています。エンターテイメント情報にも力を入れており、レデイー・ガガや、必読の書籍紹介、魅力的な旅行先の紹介、健康に関する話題などを扱っています。他に、飲食店などのローカル情報も提供しています。自分が自分らしく振る舞いたいという人たちをサポートしているのです。例えば、家を買おうとして不動産屋を探す場合、同性のパートナーと一緒に、いちいち自分たちがゲイであることを説明する必要がない…そういうことをもっと可能にしたいと思っているのです。我々が医師と話す時には、ゲイ男性として、特定の健康に注意すべきことついて、聞きたい時もあるわけです。つまり、我々のコミュニティに属していない人たちにも我々をサポートして頂きたいと思っています。

私はコロラド州のデンバーで育ちました。ロッキー山脈の麓の中規模都市です。今は200万人くらいの人口ですが、当時は50万~70万人くらいでした。ちょっとした都市という規模でしょうか。私は高校生の時にアルバイトをしていました。放課後に街のカフェで働いていたのです。その店の近くに、ヘアサロンがありました。そこで働いている男性がカフェに来て、よく食事していました。私は、当時から男性が好きであるという自覚を持っていましたが、ヘアスタイリストたちのイメージは好きではありませんでした。自分はあんな大人になりたくないと思ったのです。自分が大人になったらこうなりたいというロール・モデルは「クール」じゃないとだめだと思っていましたが、彼らはクールには見えなかった。

80年代、ジョン・トラボルタは素晴らしいロール・モデルと見なされていました。家族のロール・モデルというのもありました。でも、ゲイのロール・モデルはなかなか見つかりませんでした。私自身は、ゲイだけれど普通の人間だよ…と、心の中で叫んでいました。私が、ゲイであることを公にして10年~15年たったあたりから、いろいろと変化が起きはじめました。多くの人が、自分がゲイであることを声を出して認めはじめたのです。エンターテナー、アスリートなど、有名人の多くが、今も毎日のように誰かが、カムアウトしています。「別にゲイでもいいじゃないか」という感じになってきたんですね。

カムアウトした後ですが、私は洗濯機や乾燥機の大手メーカーで働いていました。同僚にはゲイの男性がいたのですが、私も彼も、他の同僚や上司に対して、自分たちがゲイであるということをあえて伝えようとは思いませんでした。キャリアップの妨げになると思ったからです。多くの人が今もそう感じていると思います。そこで2、3年働いたのですが、仕事で充実感を得ることはなかったので、大学院に進学する決心をしました。MBAを取得した後、ニューヨークに引っ越そうと考えはじめました。ニューヨークは世界の中心だと思ったからです。どんな人でも、自己主張できて、偏見もなく、色々な人が人生を謳歌している場所に違いないと思ったのです。本当の自分として生きたかったのです。そのためにニューヨークという場所は、キャリアを築くには最適な場所だと思いました。そこで、ウォールストリートの大手銀行に入ったものの、そこで、実は、デンバーのような地方都市と何もかわらない、ゲイを笑いのネタにジョークを語る人たちが多くいることに気づいて、がっかりしました。トレーディング部門で1、2年働いた頃、自分が本当に追い求めるものはここにはないと感じだしました。

それから、ゲイの一人としていったい自分に何ができるだろうということを考えはじめました。NYには多くのゲイ・バーやゲイに人気のレストランがあることを知っていました。でも、まだインターネットなどはなく、そういった情報をなかなか手に入れることが難しい時代でした。自分自身のような人たちはサポートされていないと感じたのです。また、当時のゲイ・コミュニティ向けの新聞・雑誌と言えば、政治関的なものか、アダルト誌のようなものばかりだったのです。

『メトロソース』は全米で13万部ほど流通しているのですが、読者層の平均所得は9万9千ドルです。アメリカ人の平均所得が5万1千ドルであることを考えると、かなりの高所得層が読者であるといえます。そういった意味で幣誌は高級嗜好品などをマーケットするには最適なメデイアといえるでしょう。また我々の読者は『メトロソース』の熱心な支持者で、62%の読者が最近の4回発行された雑誌のうち3冊を読んでいるというデータがあります。読者の中間年齢層は40代です。40代前半ですね。私よりも若干年下の世代です。

私は大学を卒業した後、結婚して子供をつくってという、地に足のついた生活を選びませんでした。そのかわり、ニューヨークに来て、いろいろな人と出会い、バーやレストランや、イベントに顔を出して、アクティヴな毎日を過ごしてきました。40代になっても社交的でした。私と同世代のヘテロセクシャルの人たちは、結婚して地に足をつけた生活をしているかもしれません。私のような、自由な生き方を選ぶことは、かつては理解されずに難しい面もありました。でも25年がたって、今の社会ではより多様な考えが受け入れられるようになってきています。

25年前に広告代理店に行った時のこと、広告主に『メトロソース』を売り込みました。当時、彼らの私を見る目は、まるでお化けをみているような感じで、「ゲイって、社会から少し外れた人たちだよね。実際、どんな人たちなの?」といった質問をいろいろと受けました。でも今は違います。広告代理店に行けば、ゲイのことはよく知られていますし、ゲイ雑誌にとまどうこともありません。

89年に『メトロソース』を創刊するため、印刷業者を見て回りました。印刷業は工場施設が必要なため、都市部にはなく、少し離れた工業地帯に拠点を置く印刷会社を見つけました。その会社の営業マンはNYにいたので、仕事を発注しようと思い、彼の会社で、『メトロソース』のような雑誌を印刷するのに問題がないか確認しました。すぐに返事があり、「ロブ、問題ないよ」との答えでした。契約をし、創刊号をつくり上げ、いよいよ印刷することになり、創刊号の表紙原稿を送りました。これ(見せながら)が、『メトロソース』創刊号の表紙です。二人の男性がレストランで食事をしている、どうということもない写真です。『メトロソース』という雑誌名の下には、ごく小さい文字で「ゲイのための都市ガイド」と書かれています。

印刷会社は表紙と裏表紙のアブソリュート・ウオッカの広告原稿を受け取りました。すると次の日に電話があり、「お宅の雑誌は印刷できない」と言われました。「うちの会社にはキリスト教関連の雑誌を出版している大事なお客さんがいて、彼らが気分を害するから」というのがその理由でした。2週間で印刷するという契約だったにも関わらず、それができないというので弁護士に相談し、その後、ニューイングランドの他の場所に小さな印刷会社を見つけることができ、なんとか『メトロソース』を印刷することができました。その会社とは、6~7年間、良い関係を続けることができました。

その後メトロソースは成長を遂げて流通規模が大きくなり、小さな印刷会社では追いつかなくなりました。そこで、改めて印刷会社の公募入札を行うことになったのですが、一番いい提案をしてきたのはなんと、最初に『メトロソース』の印刷を断った会社でした。彼らに仕事を発注すべきか悩みました。多くの友人たちは反対しましたが、私はむしろ、これは偏見のある人たちを啓蒙し、成長させるいい機会だと考え、発注することにしたのです。彼らはよい仕事をリーズナブルにできたので、それは正しい経営判断でもありました。その後、この会社とも7~8年、さらに大きな会社に仕事を発注するようになるまで良好な関係が続きました。彼らは我々を顧客として尊重してくれるようになり、結果として、正しいことをしたと思っています。

この25年間で社会は大きく成長してきました。まだまだ課題はありますが、世界を見ても、ゲイに対する認識は大分ポジティブになってきています。偏見や変化に対する抵抗もありますが、LGBTが一般の人たちと何も変わらないと思われるようになるのは、もはや時間の問題でしょう。それが私の生きているうちに実現してくれればと願っています。

LGBT、特にゲイ男性の市場での評価はとても高くなっています。モノを売ろうという人たちは、誰でも高所得層にリーチしたいと思っているからです。私たちのコミュニティをサポートしてくれるような会社、その製品を、私たちもサポートしたいと思うということでもあります。

東京では2020年にオリンピックが開催されますね。ゲイのアスリートも大勢参加するでしょうし、ゲイの観光客も大勢やってくることでしょう。これは東京に変化をもたらす良い機会だと思います。東京が、多様性に対してオープンになるよい機会です。ウラジミール・プーチンはウクライナの一件で世界に混乱を巻き起こしていますが、ソチ・オリンピックの際には「ロシアではゲイは歓迎されない」というメッセージを打ち出しました。彼はオリンピックの意義を見落としていると思います。オリンピックは世界にアプローチできる、素晴らしいマーケティングの機会です。同時にオリンピックとは、世界中から色々な人が集まって一つの目的に向かって努力する場であり、お互いの違いや似ている点を賞賛した上で全力を尽くす、素晴らしい機会です。日本にとっても、東京オリンピックはゲイのアスリートや観光客を知り、理解する良い機会となるでしょう。

私は25年前にゲイ・コミュニティに向けて『メトロソース』を創刊しました。なぜなら、当時は人と人をつなげるツールがほとんど存在していなかったからです。今はインターネット、ソーシャルメディア、様々なリソースがあり、実に様々な方法で人とつながることができます。時代は変わったのです。私たちはお互いの相違点を理解し、認め合い、共に努力をし続けていくことが重要なのです。そのために『メトロソース』は、世界に対して、ゲイ・コミュニティがどのようなものかを提示できればと思います。

ありがとうございました。

サマリー・文責:田所雅之

0 件のコメント:

コメントを投稿